琴似屯田兵村兵屋跡の織り機に思う
先日ふらりと立ち寄った「琴似屯田兵村兵屋跡」
https://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/14k_ktondenheiato.html
畳の部屋に織り機が一台何故かポツリと唐突に置かれていた。屯田兵が家財道具と一緒に実際に持ち込んだものなのか、それともそれらしく見えるのでただ置いてあるだけなのか。千切には細い絹糸の余りが残っていたけどそれもいつのものなのか。二枚綜絖、自家用なのかそうでないのか。
屯田兵の出身地は東北地方や北陸地方が多いようだ。
(参考)
https://www.city.sapporo.jp/nishi/kotoni-nijyuyonken/documents/rekisitanbouura.pdf
この織り機がその地域のものと一致するのであれば家財道具と共に持ち込んだ可能性が高いと考えて良いのかもしれないが、当時北海道では食料となる作物のほか、亜麻の栽培や養蚕など繊維となるものの可能性を色々と探っていたようなので、そのために支給されたと考えても良いのかもしれない。後に北海道では亜麻も養蚕も盛んになる訳で、私の身の回りの体験的な口承によると大麻も亜麻と同様に生産されていたようだが一切触れられていないのも妙なのだが、いずれにしても、現在、それらの伝承が気味の悪いほどに北海道ではほぼ皆無なのは一体どういうことだろう。
北海道の繊維製品の素材栽培、製糸技術や織りの歴史は軍需と関連し市民レベルでは「嫌な記憶」と結びついてしまって無意識的に嫌悪・排除され記憶から抹消されているのではないか…というのが数年来の仮説だ。短絡的にすぎるだろうか。
ともかくもこの織り機があまりにも寂しそうだった。
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