竹筬について
日本人は、いや人間は、かな。どうも「古き良き時代、古き良きモノは失われつつあるからこそ美しい」という幻想を抱きたいのかもしれない。
「竹筬」について、私は長い間、間違ったことを信念のように信じていた。確かに織物界隈ではおそらく9割以上の人がそう信じ込んでいて、いまだにそう信じている人が多いのか、そういう発信を散見する。もしかしたらきっとそう信じたいがために事実はそうでないということがチラついても見ない知らない聞かないことにしてスルーする。人間にはそういう心理が働く時があるらしい。話が飛ぶが昨年山登り中に登山道でないところを割と延々歩いてしまった時にも同じ心理状態になった。その時のことはYAMAPに記録しているのでご興味ある方はそちらをご覧ください。
さて、話を戻して、竹筬である。
以下は2022年に書いた文章だが、重要なことなので再掲する。こういう大事な事実が、我々が勝手に抱きたい幻想によってスルーされることは、技術の衰退の理由の一つでもあるのかもしれない。以下に元投稿の内容をただ転載するが、付け加えると、そうは言っても現在竹筬を購入する人は少なく厳しいそうだ。織物の界隈で多くの人が「もう生産されていないから購入もできない」と思い込んでいることがその一因となっているのは間違いないと思う。ステンレス筬に比べれば確かに高価であるが一生以上使うものだ。自分の損得を超えたモノの選択を考えたい。
元投稿はこちら
竹筬(たけおさ)は文字通り竹でできている筬(おさ)のことで、「筬」とは織物の幅出しと打ち込みの役目を担う織り道具の一つである。織り装置の違いにより打ち込みの役割のないものもあるが、私の織り機は前者のタイプ。
葛布は織る時に水を使うので何年も使っているうちに筬羽に歪みが出てきてしまった。織った布にも影響が出てくるようになった時に書いたブログがある。
こちら
https://sessou-kuzunonuno.tumblr.com/post/632084501741371392/
竹筬はその制作の技術が一度途絶え、現在は生産されておらず、既にある古いものがぐるぐると流通しているのみ、その技術を復活させようと地道に活動している団体はあるけれども、入手は困難で、新しいものを購入するなど絶望的に不可能・・・と、随分長い間信じていたのだが、これは間違いだった。
筬熊リード製作所
https://osakumareed.sakura.ne.jp
実はこのサイトは以前から目にしていたのを覚えている。だが、人間(というか私)の意識とは怖いもので、「こう」と信じ込んだら「こうでない」情報を遮断するらしい。筬を制作販売しているらしい→そんなはずはない(竹筬の技術は途絶えていて現在生産されているわけがない)→情報をスルー(または、ここはきっと怪しいに違いないと思い込む)。恐ろしい。
とにかく、私は竹筬の制作をお願いすることにした。現在手元にある、筬羽の歪んでしまった筬の修理も、もしかするとお願いできるかもしれない。とてもホッとした。
*
先述のブログに書いてある「日本竹筬技術保存研究会」が、2018年に選定保存技術保存団体に認定されたことが、筬熊リード製作所webサイトの中で紹介されている。
https://osakumareed.sakura.ne.jp/ninteisiki.html
金筬も竹筬も織布には影響しない、どちらで織っても変わらないという話も良く聞く。でもそれは糸が規格品〜均一に作られた機械製糸によるもの〜の場合なのではないかと想像するがどうだろう。もしくは、筬の違いなどモノともしない包容力のある糸か。少なくとも、経糸も緯糸も人の手で作られた、均一にしようと思ってもどうしても出る揺らぎ、不均一さを抱え込む、そして案外と融通の利かない糸を使っている私の場合は、金筬では、私が織りたいと思う葛布を織ることはできなかった。
それに、竹筬は軽く、織っていてとても気持ちが良い。目にも優しい。それだけでも、私はそれを選ぶ価値があると思っている。
基本的に、何かの伝統やモノが途絶えたり消えたりすることにあまり感情が動かされる方ではないのだが、竹筬ばかりは、切実に、途絶えず生産されて欲しいと願う。
それにしても、なぜ私は「竹筬は現在生産されていない」と信じ込んでしまったのだろうか。どこの何の情報を見たのだろうか。
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