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Sessou-no-ki : Sessou’s Blog
染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

アットゥシ織りに思う・2

アットゥシの技術を習得しようとは思わなかったのか?と訊ねられることが度々ある。北海道にいて葛布を織っていることの経緯を不思議に思ってのご質問なのだと思う。そのことについて、2019年に書いた文章があるのだが、近頃、この文章が度々私の脳内に訪れては「違うだろう」と言ってくるので、何が違うのか?書くことにした。
まずは以前書いた文章をこちらに転載する。

余談だが、この当時私の中で「句読点を打たないで文章を書く」ことが大流行していた。やや読みづらくすみません。

「それを知ってどうする」

アットゥシ織を教わりたいと技術を継承する方に直接電話をした時に言われた言葉だ どう答えたか覚えていない 結局教わることは叶わなかった

今から20年近くも前の話

以来、それは私の中でほぼトラウマになっていたのだが

文様の考察を経て、少し理解が出来るようになった気がする

アイヌ民族だけでなく、どの民族にとっても、織りとは、自分や家族を守る祈りであり、民族の存続への祈りであり、信仰の対象であり、精神世界の具現化そのものなのだ

だから、「それを知ってどうする」とは

これは趣味で覚えるものではない、仕事としてやるものでもない(あるいは仕事になどならない、という意味もあったのかもしれない)、民族と何の関係もないあなたが表面的にその技法だけを覚えてどうする という意味だったのではないかと思うのだ。実際、「嫁入りでもするならば話は別だけれども」というようなことも言外にほのめかされて、そのくらいの覚悟がないと教われないものなのだと思った

過去に理不尽に奪われた文化、技術

様々な感情も渦巻いていたのだろうとも思う

こんな風に簡単に私などが言えるものではないくらいの

しかしその時の私はだただた 北海道で植物から糸を取り織ることをしたくて、手当たり次第に情報を得ようと方々駆け回っていた

それが配慮に欠けた不躾な態度に繋がった

恐らくは そのことを突きつけられ

自分の中に何もないことを思い知らされ

勝手に傷ついていたのだと思う

時代は変わり、今は、良いものは「シェア」して皆のものにしようという世の流れがあり、アイヌ文様、アットゥシ織も、一般に技術を公開し習えるところも増え 広く皆のものになってきている

それはそれで喜ばしい事だし どんどんそうなればいい

でも、それとは別に、葛布の帯を織る私個人としては、根底にある民族の祈りのようなもの、その具現化とも言える織りや文様を模倣してどうする、と、

確かにそう考えるようになった

恐らくは葛布もずっと元を辿れば同様なのである

しかし 商業的に生産されてきた歴史も厚く、私が知りたいと思った時には既に皆に広くその技術が公開されていたから、私は今こうして取り組むことが出来ている

そのことを有り難く受け止め、知った責任、学んだ責任のもと、より良いものづくりに励みたいと思わずにはおれない

2019.4.29記

(追記)

この文章を読んだ方の中に、「今ならここで教わることができるよ」という情報を教えてくれる方も数人おられました

そのお気持ちを有り難く思いましたが

現在は、オヒョウの繊維取りやアットゥシ織りを習おうとは全く思っていないことをここにお伝えいたします

2019.5.30 記


転載元blog 
https://sessou-kuzunonuno.tumblr.com/post/185240529782/ (雪草乃記 Ⅱ)

https://sessou-no-ki.n2b.site/posts/attus (雪草乃記 Ⅲ)

この時の私はやや深読みして格好つけていて、今思うと「それをやってどうする」という言葉の意味は、それほど深いことではなく、ただ単に「それを仕事にする気なら、無理だよ(これでは生活できないよ)、といって、趣味でやるほど簡単なものでもないよ」というくらいのものだったのではないかと思うのだけど、それはまぁ良しとしても、今確かに「違う」と言えるのは、私がアットゥシに向かわなかった(もしくは壁に当たってすぐに諦めた)のは、単に私の中にそれほどの動機がなかったというだけの話だった、ということだ。誰が何を言ったとか社会的な状況がどうだったとか、そういう話ではない。もしも本当にやりたいと思っていたならば、それでもどこか教われるところを探したり、違う方法を考えたりしたはずで、それをしなかったのは「私」で「私の決断」である。だけど誰かや社会のせいにして、諦めたのは自分ではなく何か他のせいだったと格好つけたかったのだろう。

なぜアットゥシに心が向かわなかったのか?理由は思い当たるがしょうもない理由なので話す価値もない。しかし確かに言えるのは、「葛布」への興味とその魅力・可能性がよほど私にとって大きく、きっと心と行動は初めからそちらに向かっていた、ということだ。

当時の文章は当時の私が本気でそう思っていたことなので、尊重して特に訂正はしない。でも今の私は「なぜアットゥシに向かわなかったのか?」と訊かれたら「葛へ向かう気持ちが大きかったから」と答えたい。

葛のタネになりかけのメリーゴーラウンド

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