雪歴
自分の誕生日に裏山の尾根まで登るのがここ5〜6年恒例となっている。雪のある時はスキーで行くが雪がなくてスキーでは入れない年もある。今年は積もりたての雪がフワフワで登り初めは板の上で溶けていた雪が尾根付近で凍りついた。ほんの数十メートルの標高差なのにと少々驚いたが、とにかくそのくらい冷えて適度に柔らかく沈み込む、滑るのに大変気持ちの良い雪質だった。この時期にしては珍しい。夜間に降った雪が樹々にまとわりつき、日の出の光に照らされて今朝は綺麗なモルゲンロートが見られたが写真に納めるのが間に合わず少々残念。それでも山の中はいつも別世界。
雪が好きだ。関東暮らしだった幼少期から雪国の暮らしに憧れを抱いていた。その気持ちを今もずっと持っているのだと思う。記憶する中で人生初の雪体験は、東京に住んでいた頃だ。ほんの数センチの積雪だが嬉しくて外に出て、集合住宅下の空きスペースを自分の足跡だらけにして喜んだ。この写真を探しに先ほど実家に行ってきた。
後に皆で遊んで泥だらけ。雪だるま作成を試みるも泥だらけ。でも結構でかい。雪をかき集めて随分頑張ったようだ。
この次の雪体験は仙台に暮らしていた時だ。一冬に2~3回は足首くらいまでの積雪があったように記憶している。でも午後には溶けてしまうから、雪遊びらしい雪遊びをした記憶がない。唯一、近所の子供たちと皆で凍った坂道をソリで滑って遊んだ気がするが、ほとんどアスファルトの上を滑ったようなものでソリに穴が空きそうだったし、事故になりかねず危険極まりない。
9歳の時に親の転勤先が北海道に決まって飛び跳ねて喜びたいくらい嬉しかったのを覚えている。転勤族で2年おきくらいに引っ越していたので子供心ながらに人間関係にあまり深入りしないようにしていたからか、その時々の土地や暮らしや友人知人への愛着らしきものは何もなく、ただ雪景色が待ち遠しかった。
越してきたのは北海道の江別市大麻(おおあさ)というところで、学校の体育でスキー授業があった。私はスキーどころか雪がほぼ初めてなので、グループ分けではいつも最下位、の中でもとりわけ不慣れで、スキー場へ行ってもリフトに乗れない。下の方でチョロチョロと練習するだけだった。でも嫌になったことは一度もなく、山の上から列をなして悠々と滑ってくるクラスメイトを見て、「いつか自分もあの中に入れるはずだ」と何故か信じて疑わなかった。日常の雪遊びやスキー体験を経て、小学校を卒業する頃には斜面を滑り降りることが一応できるようにはなった。
スポーツ系で言えばこの頃テニスの少年団には入っていたけれど、スキーに関しては何かのチームに入っていたとか習いに行っていたとかいうことはないし、その後の人生でもそういう時はない。だが毎年必ず続けて止めることはなかった。雪と山の景色に日常を忘れ心が晴れ晴れとするあの爽快感は他に代え難い。スキーができると思えば雪かきも苦ではない。途中3年間くらいスノーボードをした時期もあったが、「カービングスキー」の板が出始めた頃に楽しさが倍増して再びスキーに戻った。
その時々でいつもスキー仲間がいた。スキースタイルはそれぞれだったが皆とにかく上手で、いつも彼らの滑りを間近で見られたことが素晴らしいイメージトレーニングとなり私にスキーの楽しみ方と滑り方を教えてくれたのだと思う。
40歳間近くらいだったろうか、一応のバッヂテストを受けて合格したのを機にバックカントリースキーを始めて今に至る。といってもゲレンデスキーと山のスキーとは全然違って初めの頃は少しでも深い雪は全く滑れなかった。今でも苦手な斜面はいくらでもあって、課題は尽きず面白い。
ところで話は前後するが、先ほど実家に寄ってもらってきた、私の誕生〜幼少期の写真がまとめられたアルバムには、たまに母の当時のメモ書きがある。大体私は「歌と絵本があればどんなに泣いていても機嫌が良くなる」子供で、着物が大好きだったようだ。人間、好きなものは生まれた時からそう変わらないのかもしれない。
自分の誕生日にこのようにして自分の人生を振り返ってみるのも悪くない。今の自分が存在していることは奇跡の積み重ねなのだと大袈裟でなく思え、生まれてきたことへの感謝を素直に感じられる。
※やや乱文のため、今後書き直す可能性があります。
2024.3.12 一部加筆修正
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