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Sessou-no-ki : Sessou’s Blog
染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

アライグマ

聞いたことのない音がして目が覚めた。時計を見ると夜中の2時半。初め何か分からなかったが、どうも動物の声らしい。尋常ではない感じで心がざわつく。よせば良いのに見に行ったパートナーが戻って来てタヌキが薪棚の中で死んでいるという。程なく再び同じ声がしてきたので、正確には見た時にはまだ息があったのだと思うが、パートナーが近づいても動かなかったのはほぼ気絶していたのかもしれない。私はすっかり興奮してしまってほとんど眠れなかった。

朝になって亡骸を箱に入れて、さてどうしようかと話合う。良く見てみるとタヌキではなくアライグマだった。札幌市のサイトを調べると公道や公園であれば回収対象となるが私有地の場合は土地の所有者が対応、通常は一般廃棄物として処理すると書かれてある。要するにゴミに出すということか?それはあまりにも不憫だ。アライグマは指定外来種だから(「外来種」という括りについても思うところがあるがそれはまた別の機会に書くとして)亡骸の対応も何か特別なことがあるのだろうかと思い一通り見てみたが特になさそうだ。自分で捌くことができればあるいは天からの恵みと頂くこともできたのかもしれないが、今の私にそれはかなり非現実的なことが悔やまれる。

そもそもアライグマが庭に来るような環境なのですぐ裏は山であり、このアライグマも元々はその山にいたはずなので、そこに還してやるのが筋だと思い、中腹まで上がっていって木の根元の土が出ているところに置いてきた(今はまだほとんどが雪に覆われている)。

それにしても何があったのだろう。ここに越してきて10年、こんなことは初めてだ。今までは犬がいたので犬のオシッコがマーキングになっていて野生動物はあまり寄り付かなかったのかもしれない。にしても、一体何に襲われたのか?

山に入った時に一匹のキタキツネがいて、ずっと私を見ていた。

ちょっと顔が木に隠れてしまっているが

このキツネと同一かは分からないが、キツネと鉢合わせてお互いに驚いて戦いになってしまった、という線が濃厚に思えた。もしくは、ネズミか何かを取り合ったのか。命を落としたアライグマの顔はすごく尖っていて、戦いが熾烈だったことを物語っているようだった。

こんな動画を見つけた。

数ヶ月前になるが風の強い日の朝玄関にエゾシカの頭蓋骨が落ちていて驚いたことがある。山でカラスが騒がしいと思ったら一面血だらけになっていたこともあった。山の中では死はいつも隣り合わせで、鉢合わせただけでも命が脅かされる世界なのだ(ヒトが登山中にヒグマと不意に鉢合わせた時の危険と似ているかもしれない)。食うか食われるか、やるかやられるか、過酷な環境や天候も加わって、毎日が真にサバイバルでシビアな彼らが生きる世界の片鱗に触れた思いがした。だが命を全うした生き物は、他の動物の食料になったり、または植物の栄養になったりして、ただそこにあるだけで自然の循環の中に埋没する。人間だけが、自然に還りにくいものに囲まれ守られて暮らし、自然の循環から激しく逸脱している・・・ように思えたが、いや待てよ、もっと視野を広げ地球の循環からみれば、人間の作り出した自然に還らないようなものもずっと元を辿れば「それ」が存在する以上はそもそも地球上には必ず何かの形で存在しているはずのもので構成されている訳なので、それらはきっと途方もない長い年月をかけて全て地殻とその内部の運動により地球内部に取り込まれてその一部となるわけで、全くもって全てはこの宇宙のほんの一部分に過ぎず、「逸脱している」というのはとんでもなく視野の狭い話なのだ。ただそんな狭い世界でヒトは他の生き物を脅かし、その循環を大いに乱し、自分達の将来的な存続すら怪しくしていることは事実だ。何をしているのか。全ての生き物はこの地球を舞台に同じ場所で同じ時代を共に生きる同朋なのだ。貪ることなくお互いの生命を尊重し合いたいものだと思う。

Mantle 葛布八寸帯地 
https://kuzunonuno.com/mantle/

2024.3.29 16:31 一部加筆

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