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Sessou-no-ki : Sessou’s Blog
染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

アイヌ民族は繊維を取るのに火を使っていなかったのではないか

庭に勝手に生えてきていたのでそのまま育てていたオヒョウの木の下の方の枝が、今シーズンの雪解けの重みで結構折れてしまった、その枝から皮がスルスルと剥けるので、手元の資料を見ながら糸にしてみようと試みる。オヒョウはアイヌ民族のアットゥシ織りの原料である。

採取後すぐに表皮を剥がすとあるので、まずは表皮を剥がす。中途半端だがまぁ良しとする。

とりあえず乾燥しないように水に浸けて翌朝見てみるとカエルの卵の周りのようなヌルヌルがたくさん出ていた。これはオヒョウの木に傷がついた時にも良く出ていたので驚きはしなかったが、何なのだろう、他にあまりこういう木や草を知らない。ペクチンか何かの類だろうか。人間にしたら血液の中の何かの成分に似て、必死に自分を守っているようでちょっと心が痛む。この「ぬめり」が多いものは良い繊維にはならないのだそうだ(『ものと人間の文化史78-1 草木布Ⅰ 竹内淳子著、p30)。あまりにも若すぎる木だしそもそも枝なので仕方ない。でも折れてしまった木から糸が作れるなら何よりだ。芯はもちろん乾かして来年の薪ストーブの燃料にする。

ちょっと分かりにくいと思うが・・・

皮を剥いだ後の木は真っ白でツルツル。

現代では木を切り倒して皮を剥いでいる写真を良く見かけるが、本来は皮を剥ぐのは一部分にしてその木を殺さないようにしていたようだ。本州以南の森の管理(人の手を入れて適度に古い木や込み入った木を切り出す)とは考え方が根本的に違うのだ。北海道は人が立ち入らない、いや立ち入れない場所が今でも多い。これは他の記事で書こうと思っていることだが、本州から人が入ってくる以前の北海道は人類が住んでいる地域は全体の1割にも満たなかったのだそうだ。森との共生の根本的な考え方の違いはそういう環境ゆえなのだろう。あるいは本州以南もずっとずっと大昔はそうだったのかもしれない。

ところで大変興味深いのは、アイヌ民族は繊維の採取に基本的に火を使わないということだ。私はエゾイラクサの繊維を取ることを調べていた過程でこのことを知って大変感銘を受けた。火どころか何も使わない、人の手でできること以外は何もしないと言っても良いくらいで、ただただ、太陽と時間の力を借りることに全勢力を注ぐような感じなのだ。中でも特に感じ入ったのは初冬に立ち枯れたものを採取して繊維を取るというところだ。実利的にはエゾイラクサのチクチク成分が効力を失うので、採取しても皮膚が痛くならない時期だから、ということでもあるらしいが、植物が完全にその生命を全うした後で採るということの気持ち良さ。自然のサイクルにほとんど負荷をかけず、土に還るまでの間ちょっとだけ利用させてもらう。

一方アットゥシ織りに関して現在ネットで良く見かける情報としては「剥いだ皮を灰汁で煮る」というものが多い(参考:二風谷アイヌクラフト・二風谷アットゥシ)。60年以上アットゥシ織りを続ける二風谷の貝澤雪子さんも灰汁で煮るそうだ。日本の他の地域の植物繊維で樹皮を利用するものは灰汁で煮るというのが普通なので、私もすっかりそれに囚われて良く調べもせずそれとだけ信じ込んでいたが、今回、手元の文献をよくよく見ると、「沼に浸ける」という方法があり、しかもそちらの方が主流であったのではないか?いや、もしかするとそれだけだったのではないか?とすら思えるような節があったのだ。灰汁を利用するのは恐らくは本州以南の文化である。アイヌ民族が灰汁をそんなに積極的に利用してきたという例を他に私は知らない。それ以前に、繊維を取るためだけに木を燃やす(これは木灰を作るという意味ではなく灰汁を煮立てるためという意味で)というのは資源的視点・労働的視点から言うと大変非効率である。そもそも、北の方、緯度が上がると植生として燃やせるほどの木はほとんど生えなくなる。繊維を取るのに他の方法〜沼に浸ける〜があるならば、暖を取ったり家を建てたりするために木を大切に使うことの方が優先されるだろう。よって、この「灰汁で煮る」は、もしかすると交易や商売のために大量に生産する必要が出てきて短時間で繊維を取ることを優先するために流入してきた比較的新しい方法なのではないか、という仮説が立つと思うのだがどうだろう。または、これらは二風谷ばかりの情報で他の地域の情報がとても少ないので、地域性なのかもしれない。二風谷は北海道の中でも比較的南の方だ。

ちょっと話がズレるが日本の本州以南の文化にはもう一つ特徴的なことがあると私は思っていて、それは「川で洗い物をする」だ。「おばあさんは川へ洗濯に」というあの有名なフレーズにも代表されるように、日本人はきっと川を洗い物の類に大いに利用してきた。染織の歴史においても川や海で晒す、川で洗う、というのが大変普通である。しかしアイヌ民族は川では絶対に洗い物をしないという。汚れたものを直接川に流すことを嫌い、必ず土を通す(※)。よく考えれば当たり前だ。そのことを知って以来、私も葛の繊維を川に晒す時に表皮などの不要物を直接川に流さずに土の上に置くようになった。川を利用する文化を否定する訳ではもちろんない。でも昔ながらの方法が全て良くて素晴らしいとは限らないのだ。

さて、話をオヒョウの繊維に戻して、とはいえ、うちの周りに沼はないが木灰は大量にあるので、まずは灰汁で煮てみようと思う。

傾斜地なので雪の重みでナナメってしまっているオヒョウの木

今日(2024.4.8)札幌は予想気温10℃を超えるとのことで、庭のクロッカスが開花。

それにしても、「草」から繊維を取ることは私はずっとやってきているし麻素材は工業製品でも多いので割と普通に感じられるが、樹皮というのはなんだかすごい。うまく言葉にならないが、「木を纏う」いうのが何だかすごい気がする 自分も木になれる気がする。


(※)このことについて、何で読んだか何で知ったか全く覚えていない。今後参考文献としてご紹介できるものが見つかった時にここに付記します。

(参考文献)

『北の生活文庫2 北海道の自然と暮らし』p56 代表的な衣服の材料:オヒョウ、北の生活文庫企画編集会議編、北海道新聞社、1997年

『日本の染織16 アイヌの衣装』、岡村吉右衛門、京都書院、1993年

『別冊太陽 日本の自然布』、平凡社、2004年

『残したい手仕事 日本の染織』片柳草生著、世界文化社、2017年

『葛布と日本の自然布』全国古代織連絡会編、2017年

『自然布 日本の美しい布』安間信裕著、2018年

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