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Sessou-no-ki : Sessou’s Blog
染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

老人と若者と技術継承

手元の細かい作業に眼鏡が必要になってきた。目が乾いて焦点が合いにくく感じることもある。最近は特に見えにくく、視界に何かボンヤリしたものも見える。目が使えなくなると制作ができないので、心配になって眼科へ行くと、目の表面と瞼の内側が炎症を起こしているとのことで、しかし幸い深刻な病気ではなくホッとした。とはいえ加齢によって目が使いにくくなっていることは確かだ。織りを始めた時には自分がそんなふうになるなんて想像もできなかったが、人間は確実に歳を取るのだと近頃とうとう実感した。

手織りはものすごく大雑把に言って産業的もしくは権威的に発達してきた側面と、自家用に充実してきた側面とがある。その両方において、どんなに達人でも緻密な織りをするための能力やスピードが加齢と共に落ちてくるのは自然で、だから年長者は若者に対してあれこれ指示を出しながら徐々に受け渡していく事で生産性を下げる事なくその技術を伝え繋ぐということがされてきて、そういう仕組みがこれまではきっと整っていたのだと改めて考える。今まで、技術の継承について、そのような視点で考えた事がなかったが、なるほどそういう事だったのかと妙に納得した。さてしかし私の場合はどうだろう、誰に断るでもなく北海道に葛布の技術を持ち込んで、北海道の葛で織って販売をしている、そういうことが自由にできる時代の幸運と、気に入って使ってくださる方への感謝を感じながらも、工房に人を入れて後継者を育てるなどということを目指すつもりは今のところはない。だからせめてもと、自分のやっていることのリアルをネットに置くことだけはしてる(ここ→↗️)。そんなことを考えている時、何気なく開いた本の中にこんなくだりかあって吸い込まれた。

 クジラの解体作業が始まった。このクジラを仕留めたクルーによって全ての解体が行われる。これが決まりだ。六月に村で行われるクジラの感謝祭の日取りも、クジラを仕留めたクルーのキャプテン、ジョー・フランクリンによって決められる。
 解体が始まると、他のクルーはまわりから作業を助けた。女たちは食事を運びながら男たちの長い仕事を支える。一頭のクジラがどのように解体されてゆくのか、実に興味深い。切り裂いてゆくにしたがってクジラの身体の中から大量の湯気が立ち上り、氷の上は鮮血で真赤に染まっていった。クジラの上に上り、黙々と作業を進める若いエスキモーたちに、時々年寄りが指示を与えている。いい風景だった。老人がどこかで力を持つ社会とは、健康な世界かもしれないと思った。何よりも若者たちの顔が輝いていた。

(『アラスカ 風のような物語』星野道夫著 小学館文庫 1999年 p79)

 近年、様々な分野の様々なことの発展・発達のスピードがあまりにも速い。余程その分野に精通している人でない限り、何が起こっているのかほとんど分からないうちに世の中はどんどん変化する。だから習得した技術や知識や経験の蓄積の社会における必要性が年齢に比例しなくなったように表面的には見えるし、老人から教わる事が「クジラの解体」のように人の生死に直結しなくなった。老人と若者とで体験している世界があまりにも違いすぎて共通言語がないのかもしれないし、単純に人口比ゆえの問題かもしれないし、生活のほぼ全てが商業的でないと成り立たない社会の宿命なのかもしれない。いずれにしても、星野道夫の言う「老人がどこかで力を持つ社会」が健康な世界であるならば、一部の人を除いて多くの老人がただ老人として扱われるだけの(あくまでも私の個人的な印象だが)現代の日本は不健康な世界ということになる。これを「でももうそういう時代だからそれはそれで仕方がないね」で片付けることも出来るのかもしれないが、それではあまりにつまらない。長く生きた1人の人間の積み重ねの層は厚い。そのことに若者が興味も関心も持てなくなったら終わりだと思うし、老人が自分で自分の層の厚みを無いものとしているのならなんと勿体ない。そうしたことは本人の興味と意欲次第なのだから、現代でも、そしてその先の様々な技術が著しく変化した人類が体験したことのないような新しい世界でも、「老人がどこかで力を持つ社会」の実現は不可能ではないように思える。というかむしろ、今よりずっと手軽に実現しやすくなるかもしれない。

幸い、「手織り」や「葛布」そして「着物」の世界は、普遍的なこと・変わらないこと・これからも変わらないだろうことが多く有機的でフィジカルな分野だから老人と若者の共通言語も多くきっとお互いに理解もしやすい。だから先進技術との融合を遂げた先には皆が生き生きするような面白い未来があるのではないかと、朧げながらイメージを膨らます。いや、ひょっとすると、私が知らないだけで、既にそういうことが実現されている分野や地域があるのかもしれない。

いつも雪雲で覆われる北東方面が今日は明るく 雪降る街が逆光でぼんやり幻想的だった(2024.1.13 09:30a.m. IphoneSE3)

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