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Sessou-no-ki : Sessou’s Blog
染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

続・なぜ生成りを織ることをやめたのか

「色があることで生成りはより生成りらしくなる」ということを、私は割と昔からずっと考えており、そのことについてこれまで何度か文章を書いているはずだが見つけられない。代わりに「なぜ生成りを織ることを止めたのか」が出てきたので、改めて引っ張り出してみた。

タイトル横の「*」マークは、Kuzunonuno Lab.(旧葛布の帯online)という有料のプライベートグループの限定公開記事であるという意味だが、これは私の中では比較的普遍的なことで、ある意味では指針ともなりうる内容であり、「生成りはもう織らないのか?」について割と度々訊かれもするので、これを機会に公開した。

少し付け加えると、着物の帯の場合は帯が生成りであっても他の様々なアイテム〜帯締めや帯揚げなど〜が加わるので、完全に生成りというふうにはならないとも考える。持ち主様がご自身で色を付け加えたり施したりするための白地、と考えると大変ユニークな存在ともなり得るわけで、それはとても興味深い。だけれども、私個人としては、どうしても生成りを織る気持ちにはもうなれないとも思う。

色があることで生成りはより生成りらしくなり、色はより色らしくなる。それは生成りが生成りであるよりもより生成りになるという意味で、生成りは制作しないが「生成りっぽいもの」は今後も制作していくというのは、屁理屈のようであるが私の理屈では大変理に適っている。あるいは何か特別なことのために全く染めない生成りの帯地を織るということは今後もしかしたらあるのかもしれない。

冬、裏山中腹 2024.3.20 5:48 朝日を浴びて赤くなり、影は僅かに藍色。生成りを織るといつも雪面を思い出す。全ての色を受け入れ、見る者に様々な色を思い起こさせる。何も無いのに全てがある。抽象画、あるいは能面のような存在である。

Thank you!
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